ジユウメモメモ

当サイトは通販サイト・外部Webサービスへのリンクの一部にアフィリエイト広告を使用しています

好きだけど、好きじゃない映画。好きだけど。「ヒミズ」と「25時」

シンプルに見られたら大好きなのに。「ヒミズ」

 「ヒミズ」を観た。初めて観る園子温監督作品。ストーリーをさっと読んだところで中学生が主人公のビジランテものだと勝手に思い込んでいたのだけど、そんなことはなく、もしかしたらと思っていたよりも重い空気感。それでもなんだか清々しい風が吹くような。明確にこうだから好き!と人に説明できない映画だ。「重いんですけど、いいんですよねぇ~・・・。」って言う。

 ストーリーを短く説明すると、どうしようもない両親の元で普通の生活を夢見る中学生 住田。そしてそんな彼を応援しストーカーのようにつきまとう同級生 茶沢。住田はある日「お前なんか死ねばいい、死んでくれ。」と迫ってくる父親を殺害してしまう。しかし自首も自殺もできず、せめて「悪いやつを殺すこと」で世の中に貢献しようと考えるようになり、包丁を紙袋に入れ街をさまよい歩くようになる。茶沢は住田をどうにか救おうとするが・・・。というお話。

 冒頭から東日本大震災の被災地を写して、教師に反原発を主張させ、テレビのコメンテーターもひたすら原発批判を繰り返し、茶沢は「5文字の言葉を喋ってビンタする」みたいなよくわからないゲームを始めるわで「一体自分は何の映画を見ているんだ・・・。」という気になるのだけど、父親に殴られた後に住田が悔しさと怒りで叫んだところで「よくわからないけど”当たり”の映画を見ている!」という瞬間がやってくる。

大人になって忘れたあのときのもどかしさとか悔しさとかがハッと思い出されて一気に住田に感情移入することになる。そして夜の街にいる不良や何人も出てくる通り魔達に「そんな奴らは死ねばいい」という気持ちもわかる。自分たちがそう思ったとしてもしないことを映画の中の中学生に期待してしまっても、住田のそれは成功しない。彼は父親以外の誰を殺すこともないまま映画は終わる。

年齢的にも金銭的にも自分の力だけでは手に入らない「普通の生活」が、両親によって手に入らないものとなったときの彼の叫びは強烈な印象を残すし、それがこの映画を観た自分にとって「特別な映画」たらしめる(この映画に出演してる人たちの演技はみんな自然でほんとに凄いと思う)のだけど、どうにも「100%完全に好き」と言わせてくれない要素がある。”反原発”だ。

 どうやら原作には無い震災と原発の要素。震災を組み入れることで登場人物達の置かれた環境はより酷なものになるのはわかるのだけど、劇中「原発最高!」と叫ぶチンピラを「半!原!発!」と窪塚洋介に言わせてチンピラを蹴飛ばさせたり、もう「そういうのいいって!」っていう気持ちが半分くらい残るのね。好きなんだけど50%、少なくても30%くらいは鬱陶しい。茶沢のストーカーっぷりに住田が鬱陶しく感じてる以上に鬱陶しい。

どうやら自分は映画に普遍的な物語を求めているようで、だからこのお話は震災も原発もなくても十分「ろくでもない世界に置かれた主人公が絶望させられるお話」たりえるのに、スッキリそれを見せてくれないので正直不快なのだ。震災後の描写はあってもいいけど反原発のセリフは多過ぎる。もう誰も積極果敢に原発を絶賛する人なんていないって。言われなくても分かってるって。なんで我慢できなかったの?「レイン・フォール」で車が通り過ぎたときにまだいた椎名桔平くらい残念。我慢しろって。「震災、反原発要素カットバージョン」があったら「好きすぎて仕方がない青春映画」になったと思う。

ヒミズ コレクターズ・エディション [Blu-ray]

ヒミズ コレクターズ・エディション [Blu-ray]

染谷将太, 二階堂ふみ
Amazonの情報を掲載しています

 たまたま「ヒミズ」の前にスパイク・リー監督の「25時」を観ていて、好きになれるのに100%好きにさせてくれないところが似ている。

見せればいいってものじゃない「25時」

 「25時」は、麻薬の売人をしていた主人公(エドワード・ノートン)がDEAに捕まり出頭命令を受け、出頭前の1日を描いた話。恋人、学生時代の友人達と会い、色々とケジメを付けていく。最後に主人公のとる行動を書くのは控えておくけれど、映画のメッセージは「どうして彼のそばにいたのに誰も彼のビジネスを止めてやらなかったの?」といったところだろう。恋人も友人も皆それを後悔する。「どうして誰も彼を救えたのに救おうとしなかったのか。」

 「25時」が「ヒミズ」と似ているのは「25時」も9.11の後に撮られた映画で、グラウンドゼロがこれ見よがしに映し出される点。まるで主人公の人生とアメリカの現在を重ねあわせて「アメリカの同盟国はなぜアメリカを止めてくれなかったのだ」とでも言いたげで、言いたいことはわかるけど、9.11は直接には登場人物達の誰の人生にも何の関係も無い。

9.11があったから主人公が麻薬の売人を始めたわけでは全然無い。それがなくても観る人が見れば言いたいことはわかるし、多分評論家達は公開時期を照らしてそう解説してくれる。なんで我慢してくれなかったのか。こちらもバリー・ペッパーとかロザリオ・ドーソン(女子高生姿が見られるよ!)とか好きな俳優たちが多く出ていてドラマとしては凄く好き。

 よく人と会話するときに「政治の話をするのはやめておけ」というのがあるけれど、たまにそれをしてくる映画がある。きっとその映画を観ることは自分に意味があることだと期待して観るのに「俺こう思うんだよねー」って、主人公に語らせるわけでもなく、主人公の友人に語らせるわけでもなく、窓越しやテレビの画面に言わせて必要以上に出しゃばらせてくる。「そういうの今いいから!」って。そういうの監督インタビューとかで思いの丈をこれでもかって叫べばいいじゃない。

そういうのどう言えばいいのかって考えてるけどうまくまとめられない。しっくりくるかもな「外から主張がぶっ込まれてる感」の例えは「え?このサンドイッチからしマヨネーズ使ってるの?」「おでんに辛子つけるの一言断ってもらえます?」「とんかつに辛子、自分はいらないんですけど?」「食べる前からそばつゆにわさびどっさり落ちて溶けちゃってるじゃん!」だ。ネタがいいならサビ抜きで食べたいお寿司もある。多分ネタは凄く良かったんだよ。やるにしてもさりげなくやれ。拡声器は手にするな。好きだけど、憎い。

25時 [DVD]

25時 [DVD]

エドワード・ノートン, フィリップ・シーモア・ホフマン, バリー・ペッパー
3,100円(04/25 04:22時点)
Amazonの情報を掲載しています