
寡黙な筋肉、復讐一直線「ファースター 怒りの銃弾」
テレ東チョイスの傑作筋肉リベンジ映画
テレビ東京で観た「ファースター 怒りの銃弾」。”10月の木は筋肉。”特集で放送されていたので、B級アクション映画かと思って見ていたら、全然そうじゃなかったので驚いた。その後レンタルでじっくり始めから通して観直したけど、じわじわと「この映画、結構凄いんじゃないか」としばらく考え続けてしまった。
ストーリーはとてもシンプル。出所したばかりの男(”ドライバー”=ドウェイン・ジョンソン)が自分を嵌めた相手に復讐するお話。だけど飽きさせない工夫が随所に散りばめられている。
映画冒頭、出所するなりドウェイン・ジョンソン(いつの間にか”ザ・ロック”ではなくなってたね)がフンフン鼻息荒くズンズンと早歩きで車に乗って、いきなり人を撃つから「なんだなんだ」と思っていたら、30分を過ぎたあたりで彼の目的と、この映画のゴールがハッキリする。彼を追う刑事が現れ、また彼を追う殺し屋が現れ、何度か対峙しながらエンディングへ。10年分の怒りを内に溜め込み、今か今かと待ち続けた復讐のとき。飛ばす車のラジオが「罪を許せ」と彼に語りかけ続ける・・・。
復讐に燃える男、人生をやり直そうとする男、頂点を追い求める男
ドライバーを追う2人のキャラクター、刑事”コップ”(=ビリー・ボブ・ソーントン)と殺し屋”キラー”(=オリヴァー・ジャクソン=コーエン)がタダの悪人じゃないところがよく出来てる。
コップの登場シーンは麻薬でハイになってるところで、「このダメ人間が!」と印象付けられるのだけど、彼は定年退職間近で家庭崩壊の危機にありながら、なんとかやり直そうと奮闘している。
キラーは、元天才プログラマーの大富豪(ビル・ゲイツそっくりの写真が映る)で、自身の会社を売却した後に登山やレーシングドライバーなど様々なことに挑戦して頂点に上り詰めてきた、(その延長線上で現在は殺し屋をしている)という人物。幼いころは足が不自由で、手術により克服、コンプレックスやハンデをバネにやってきて、結婚もしたばかり。どちらも単純な悪人ではなく、感情移入できる部分がある。
お気に入りのシーンは「ドライバーVS用心棒」
知ってるわ テレビで見た
皆殺しを祈ってる
そしてドライバーに命を狙われる、復讐リストにある人間たちも、単純ではない。就職して働いているもの、聖職者として神に尽くすもの(そしてやっぱりクズ、という人物も・笑)。中でも、クラブの用心棒になっていた男は、ドライバーが現れると、その場にいた同僚にこう告げる。「外に行ってな、後で一人が出ていく。それが誰でも、サツに言うな」と。タダで殺される気はないが正々堂々と向かい会おう、負けたら負けたでそのときは受け入れよう。という潔さがカッコいい。
好きにしろ
だが覚悟しとけ 先は茨の道だ
ドライバーに敗れ、死を悟った彼はドライバーに携帯電話を預け、自分の息子に「すまない」と伝えるよう頼む。頼まれたドライバーは自分が殺した相手の息子に彼の父の最期の言葉を伝え、自分が殺したのだと告げる。このやりとりもカッコいい(このシーンは「ボーン・スプレマシー」のラストのやりとりを思い出させるし、その後に用心棒がまだ死んでいなくて手術を受けている、とラジオで知るやトドメをさすために来た道を戻って病院に向かうところは「ヒート」のクライマックスっぽい)。
復讐リストの全ての対象者に辿り着いた後にわかる真犯人。見ていて思わず「おお!そうきましたか!」とニヤリとしてしまう。見事なミスディレクション。これはもう全然B級映画なんかじゃない。筋肉を見て勝手に判断してはいけない。
「人生を変えたようだが 過去は変わらない」
「そんな気はない」
主人公を含めて、登場人物皆に善人の顔があり、一度踏み入れた悪に人生を破壊される(ドライバーも、彼の兄も強盗を計画しなければこんなことにならなかった)。一線を超えた悪行を一度でも働いたら、後で善き人に生まれ変わったとて過去は変わらない。まして大切な人を奪われた人間であれば「許す」ことは難しい。奪った者はいつかどこかでペナルティを受ける日が来るのだ。
リーアム・ニーソンと、ドウェイン・ジョンソンの身内に手を出したらいけない。彼らは地の果てまで追ってきて、いつの日か目の前に現れるだろう。
筋肉B級映画と思わせて、この映画にはトリックも教訓もある。これで100分切ってるだなんて!制作費が高いだけで延々と長い、余韻に浸れないような映画を見るのなら、低予算で90分ちょっとのこの映画の方が得るものがある。
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