こんなはずじゃなかった!?映画「サボタージュ」
シュワちゃんが演技してる!
大好きな映画監督の一人、デヴィッド・エアーとアーノルド・シュワルツェネッガーがタッグを組むと知って楽しみにしていた映画「サボタージュ」をユナイテッド・シネマ豊洲にて鑑賞。正直なところモヤモヤは残るのだけど、役者・シュワちゃんが見られて面白かった。
Twitterでシュワちゃんが投稿していた写真がカッコよくて期待してたのだ。
お話は、シュワちゃん(”破壊神・ブリーチャー”と呼ばれている)率いるDEA(麻薬取締局)特殊部隊が麻薬組織の幹部を強襲、現場でチームは1000万ドルを下水に隠し、幹部宅を爆破するが、1000万ドルは何者かに奪われ、ブリーチャーに嫌疑がかかる。ブリーチャーは事務職に配置され、監視下に置かれるが証拠不十分で捜査は終了。チームリーダーに復帰したブリーチャーとメンバーは再開を祝い祝杯を上げる。しかし、その夜からメンバーが一人、また一人と何者かによって殺害されていく・・・というもの。
”核抑止力”という存在理由がちゃんとある筋肉
これまでのシュワちゃん映画で好きな作品もあるけれど、「今度のシュワちゃんはアクションだけじゃない」と宣伝されてきた映画を見ても、軍人じゃない役で出てくると「なんだその過剰な筋肉は!お前はただのシュワ!」っていう印象を最後まで引きずって見てしまう。だけど今度の「サボタージュ」はそうじゃなかった。
「エンド・オブ・ウォッチ」でも、最近のニュースでも散々見せつけられている「メキシコヤバい」な麻薬組織に立ち向かうには、優等生でいては簡単に殺されてしまう。生き残るには上司の命令や法を逸脱する必要も出てくる。同じ組織の身内にさえ敵がうじゃうじゃいる。そんな世界では筋肉がものを言う。ブリーチャーが無言で睨めば相手は怯む。”核抑止力としての筋肉”。筋肉に説得力ある存在理由がこの「サボタージュ」にはある。そして、部下から父親のように慕われ、尊敬を集めている役でもあり、そこでも筋肉はダディ感の演出に一役かってた。
一度アクションスターの一線を退いているから全盛期ほど、俺が俺が、という風にも見えないし、すっきりしてるというか、普通に「あ、演技してる!」っていう新鮮な感じが楽しかった(短髪でスーツ来てパソコンのキーボードを叩いてるシーンとか!)。
”フランケンシュタイン”みたいなミステリー映画。”幻のエンディング”でよりハッキリする”サボタージュ”の意味
この映画はデヴィッド・エアーのオリジナル企画ではなく、頼まれた企画の映画。そのせいか、これまでの彼の映画の延長線上にあるような無いような、スッキリしないモヤモヤが残る。
終盤でチームメンバーを殺してきた真犯人は明らかになるのだけど、「動機はわからんでもないけど、じゃぁ、あれもこれも君らにできたの?」という疑いを持ってしまうし(日頃の行いって大事)、最後のメキシコのシーンはオチとしてはいいと思うけど、その直前まで「これはミステリー作品です!」って言って見せられてきているので、突然ジャンルの違う映画のラストを持って来られたようで困惑してしまう。
宣伝通りに今回のシュワちゃんには裏があった。だけど、この映画は言ってしまうと、パズルを組み合わせていく途中で気が変わって、本来出来上がるべき絵とは違う絵に見えるよう強引に組み合わせて完成させたようなものだ。
YouTubeには「別エンディング」の映像があって、ブリーチャーの行動の動機が撮影中に変わったことが伺える。元は3時間になった映画を、プロデューサーの意向で100分に、ストーリーまで改変させられたらしい。
削除されたシーンから想像するに、オリジナル案はより深みがあるし、タイトルの「サボタージュ(”破壊工作”)」がピッタリだ。シュワちゃんを悪役にする勇気があったなら、きっと異色の名作と呼ばれる一本になってた。
映画は長ければいいものではないし、短くすればいいってものでもない。ストーリーに必要十分な時間は使わないといけない(なんとか辻褄合わせて完成させた、という意味ではよくやったなーと感心するんだけど、そんな見方を客にさせるのはおかしいわけで)。
作り手も見る側も「こんなはずじゃなかったのに!」という不満が残る一作。だけど、2度ある突入シーン(訓練シーンも加えれば4回)で「止まるな、進め!」とズンズンとチームでクリアリングしていくシーンはさすがにカッコいいし、ギョッとしつつも「あー人身事故起きるとこんな感じになるのか」とかショッキングなシーンもあってそれなりに見応えはあり、嫌いになりきれない。何年後かに”幻の3時間ディレクターズカット版”が見られることがあればいいなと願いつつ。
しかしメンバーが殺される度、モザイク無しのグロ描写があるので、テレビでこの映画は流せるのだろうか・・・。笑