ジユウメモメモ

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夢をこじらせた人のための映画「ばしゃ馬さんとビッグマウス」

R30な”夢追い人”映画。

 「エンド・オブ・ウォッチ」を観に行った時にかかってた予告編が気になった映画「ばしゃ馬さんとビッグマウス」を観てきた。この映画はR30にすべきだ(笑)。

 一度もコンクールに通ったことは無いが脚本家を夢見て作品を書き続ける34歳の女性 馬淵みち代(麻生久美子)と、彼女に恋するシナリオを書いたことは無いが自分を天才だと信じているビッグマウスな年下男子 天童義美(安田章大)のお話(二人はシナリオ講座で出会う)。

 この映画は小さな映画だけど、”今、夢を持って頑張っている人”には「いつかやってくるかもしれないバッドエンド」を、”かつて夢を持って頑張っていたことがあった人”には「かさぶたを剥がされるような痛み」を与える。特に、地方から「何者かになるために東京にやってきた人」にはより深く突き刺さる。自分はこの映画の二人ほど努力ができなかったけれど、外から東京にやってきて専門学校に通ったことがあったり、年上の誰かを好きになったり、重なるところが多くて凄くリアルに感じられた(結局あの時目指していた場所と違うところにいるところも)。

大それた夢を抱いてしまった人にやってくる”その時”

 嫌でも現実と向き合わねばならなくなってくる30代を超えてもなお「いつかは」と頑張るみち代に周りがかける言葉は「頑張れ」だ。「頑張れ」は優しい言葉だけど、同じくらい残酷な言葉だ。本人も「自分は夢が叶う側にいない」とわかっているのにその言葉をかけられると辞められなくなる。彼女が「次が最後」と決断する前にやっと「内容が薄っぺらい」「着飾りすぎ」「現実とかけ離れてる」と辛い言葉が突きつけられるのだ。

”夢の終わらせ方がわからない”

 劇中、麻生久美子演じるみち代が「夢の終わらせ方がわからない」と泣きながら吐露するシーンがある。夢を抱くのは簡単なのに諦めるのはとても難しい、と。彼女が泣きつく元の恋人(岡田義徳)は俳優志望だった。「もう俳優に未練は無い。自分より演技のうまい人はたくさんいる。」と介護の仕事に就いているけれど、最後になって「本当は未練があるよ。もしもう少し頑張っていたら、今からやればもしかしてって」と本音を語る。誰も「夢の終わらせ方」がわからないのだ。「終わらせたのだ」と自分に言い聞かせて生きている。

 「あんなの泣かせるためのベタなやり方」とビッグマウスが言っていた通り、この映画は現実を見せて終わる。みち代にとって天童の存在は小さくなかったけれど、だからその時がやってきたのではない。何か大きな挫折がいきなりやってきたのではない。止め方のわからない努力の燃料となる気力の限界がついにやってきたのだ。すっかりあの頃の自分にロールバックされた状態で、エンドロールのピアノの音がなる度に辛くなってくる。席を立とうとした時に目の周りが熱くなっていたのに気付いた。

 同じ夢を見る30代の年上お姉さんと20代の男子という組み合わせがいい。”その時”がやってきた人は仲間にバトンを渡して去っていく。

 この映画はかつての夢追い人への慰めでもあるけれど、「本当に終わらせたの?」と囁いてくる誘惑の毒にも見える。痛みを伴うのはわかっていても好きにならずにいられない映画だ。

”年の差のある人に恋をする”、”夢”を扱った映画で重なる部分があるのが「(500)日のサマー」。「ばしゃ馬さん」のクライマックスでみち代と天童がキーボードを必死に叩いているところで「サマー」でトムが黒板の前に立つシーンを思い出した。一度夢に折り合いをつけた男が大失恋の後に再びチャレンジする「サマー」。ばしゃ馬さんの方がよりビターか。

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