父と息子のためのおとぎ話「フィールド・オブ・ドリームス」
「インターステラー」の元ネタ?大人向けのおとぎ話
※Hulu、Netflix、Amazonプライム・ビデオなどの動画配信サービスでは、コンテンツ配信スケジュール、コンテンツホルダーとの契約により、視聴可能なタイトルが変化するため、記事内で紹介しているタイトルの取り扱いが休止、配信終了となっている可能性があります。
クリストファー・ノーランの「インターステラー」の予習に「フィールド・オブ・ドリームス」をHuluで観た(映画評論家 町山智浩氏がTBSの「たまむすび」で「2001年宇宙の旅」と並べて「見ておいた方がいい」と紹介していた)。
自分のトウモロコシ畑で、姿の見えない「それを作れば 彼は来る」という声を聴いた男レイ・キンセラ(ケビン・コスナー)が畑の真ん中に大きな球場を作る。10代半ばで野球をしなくなったレイが球場を作ろうと思ったのは「父のように夢に挑戦しないことを後悔したくないから」。「畑に球場を作るなんてどうかしてる」と周囲が冷ややかに見る中球場を完成させたレイは、ある夜、球場にユニフォーム姿の野球選手を見つける。死んだはずの、かつて八百長疑惑で野球界を追放されたスター選手シューレス・ジョー(レイ・リオッタ)だった。幽霊たちの人数は増え、往年のスター選手たちがレイの球場で野球を楽しむようになると、また”声”がレイに語りかける「彼の痛みを癒やせ」と・・・というお話。
”夢の叶う場所-フィールド・オブ・ドリームス”
お告げの様に繰り返しどこからともなく聞こえてくる”声”、球場にやってくる死んだはずの、野球選手。彼らの姿はレイや妻のアニー、娘のカリンにだけに見え、周囲の人々は彼らを怪訝な目で見るようになる。幽霊と会話をし、彼らのためにレイ達家族は破産してまで球場を守ろうとする。そこはかとなく「崖の上のポニョ」的な不気味さが漂って見えた(「ポニョ」は自分にはホラー映画に見える。あれは怖い。)のだけど、ラスト、レイが若き日の姿の疎遠だった父ジョン(彼もまた野球選手だった)とキャッチボールをするシーンで涙が出てしまった。
ここは天国かい?
アイオワさ
「ごめん」が言えないまま別れてしまった父との再開。ベタなお話ではあるけれどやっぱり泣ける。「オーロラの彼方へ」とか父と息子が”会話できたはずの時間を取り戻す”映画にグッとくるのは男の方が多いのではと思っている。父と息子という関係は、娘と母より家族であっても互いに知らいないことが多いのではないか。野球に興味がなくてもキャッチボール、したいんじゃないのか。
自分の場合は、20を過ぎるまで父との会話の時間が少なくて(仲が悪いとか、怖いとか愛情がなかったとか、全然そういうのじゃない)、トヨタが「86」を出したときに父に「86みたいなクーペに乗ってみたいとか思うの?」と聴いて「別にー。」と実は”車よりバイクに興味がある”人だったと20代後半になって初めて知って驚いたことがある。こんなことは自分だけじゃないはず(どことなく互いに「もっと話しないとな」と思ってるのはわかるのだが。)。
野球はアメリカの古き良き”善”の象徴なのだと映画の中で語られる(ジェームズ・アール・ジョーンズ演じる、J.D.サリンジャーがモデルの作家テレンス・マンが語る)。アメリカの精神のいくつかは崩壊と再建を繰り返し失ってきたものもあるが、野球だけは残るのだと。だからレイの球場に人は必ず集まる。だから絶対に球場を守れと。
レイ達家族がその後どうなるのかまでは明かされないけれど、アメリカ人にはおとぎ話として十分なんだろうなと思う。父と息子の話として感動できる。野球が好きな人なら自分より感じる何かがあるだろうし、アメリカの人はもっと感動するんだろうな。
さて、「インターステラー」を観よう。