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FURY

憤怒の炎を吐き続けた戦車の最後の一日。「フューリー」

”理想は平和だが歴史は残酷だ。”

 11月、デヴィッド・エアーとブラッド・ピットがタッグを組んだ戦車映画「フューリー」を初日に見てきた。

FURY

TOHOシネマズ日劇にて「フューリー」を鑑賞

警官を主人公に現代劇ばかりを作ってきたデヴィッド・エアーが第二次世界大戦を?と興味を持って観ると、これまでのライブ感溢れる映像、というよりは、どっしりと腰を据えて丁寧に、じっくり撮られた、堂々とした映画だった。それでもディテールの細かさや、配慮の無い残酷な絵は彼のそれ。

”戦争という状況”に対する激しい怒り

 オープニング、でかでかと背景の映像を切り抜く「FURY」の文字。エンディングも激しい赤い映像。ナチスへの、というより「戦争という状況が生まれてしまった」ことに対する激しい怒り。”憤怒”の名の付いた鋼鉄製の戦車の中、役割分担された兵士たちが家族となって生き抜く男たちの命を預かるのはブラッド・ピット(ウォーダディ)。部下の命を守るためなら自らの人間性を捨て、タイピングしか習っていない若き新兵のそれも奪い取る。ドイツ陥落直前の一日。ウォーダディはまた父となり、少年は男になる・・・というお話。

(余談だけど前の席に若い女性客が一人で映画を見に来てた。ブラッド・ピット目当てなのか、戦争映画も好きな映画好きな人なのか、デヴィッド・エアー映画が好きで見に来てたのか・・・後者ならなんて素敵な人だろう・笑)

 「フューリー」はキャストがみな個性的。戦車フューリーの車長(指揮官)であり、戦車隊を率いることになるウォーダディ(=ブラッド・ピット)、砲手のバイブル(=「トランスフォーマー」のシャイア・ラブーフ)、操縦手のゴルド(=デヴィッド・エアー映画の常連となったマイケル・ペーニャ)、装填手のクーンアス(=「ウォーキング・デッド」のジョン・バーンサル)、そして新たな副操縦士として配属されたノーマン(=ローガン・ラーマン「3時10分、決断のとき」の子役!)。

一癖も二癖もある彼らは、クリスチャン、ヒスパニック系、極貧の家庭で育った者、若くして戦場に駆り出された者・・・当時のアメリカ軍兵士達のバックグランドを象徴してもいる。

善き人々であったであろう彼らも、劇中ドイツ人女性たちと食事をとるシーンでは、本当に嫌な人間に見える態度をとるのだけど、それは彼らがギリギリのところで狂わずにいられているだけのこと。彼らの父であるウォーダディも部下のいないところで、自らの人間性を繋ぎとめようとしているのか震えるシーンがある。

ウォーダディはナチスのSSに激しい憎悪を見せるものの、映画そのものはドイツを悪役として描いていないように見えた。敵は”戦争という状況”そのもの。デヴィッド・エアー映画では当たり前となったグロテスクな描写も、冒頭から容赦なし。泥道を戦車が通ると実は死体が埋まっていて道がじわっと赤く染まったり、首がなかったり手足がなかったりする死体の山がトラックに積まれていたり。始めの方はドキッとするのだけど、それも中盤になれば恐ろしいことに見慣れてしまう。戦場はそういう場所なのだ、と延々と突きつけてくるのだ。

 終始緊張感と重苦しい空気が漂う映画で、観終わると少しグッタリする。だけど「見なければならない映画をしっかり観たのだ」という充実感が残る。「定期的に見ないと」という義務感みたいなものも残るかもしれない。

デヴィッド・エアーの映画の魅力の一つに、タランティーノ映画のようなキャラクター達の”何気ない会話(大抵は車中や狭い部屋で)”がある。「バッド・タイム」、「エンド・オブ・ウォッチ」、「サボタージュ」、そして「フューリー」にも。この映画のお気に入りはそんなシーン。ウォーダディのヒトラーをいじったジョークにバイブルが時間差で笑い出して、ウォーダディとクーンアスが釣られて笑うシーンがそれで、暗く、重い映画の中で、そのシーンを思い出すとちょっと救われる。

アメリカでは「サボタージュ」がどうやらコケたらしいというニュースを目にしていたのでデヴィッド・エアーのこれからのキャリアが心配になったけれど、「フューリー」で確実に大物映画監督の一人になったはず。彼の撮るアメコミ映画「スーサイドスクワッド(DCコミックの悪役キャラクター達が減刑を条件に自殺的ミッションに挑む、というストーリーらしい)」が今から楽しみだ。

フューリー(字幕版)
カテゴリ: アクション/アドベンチャー

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